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宮崎昭二 : ウィキペディア日本語版
宮崎昭二[みやざき しょうじ]

宮崎 昭二(みやざき しょうじ、1943年4月16日 - )は佐賀県鹿島市出身の元プロ野球選手
== 来歴・人物 ==
佐賀県立鹿島高等学校時代には、二年生時の1960年、第42回夏の甲子園に投手として出場。柴田勲投手を擁し優勝した法政二高に準決勝で敗れたものの、佐賀県勢初のベスト4入りの原動力となった。1962年東映フライヤーズへ入団。主に中継ぎとして起用され、1967年には、12勝7敗防御率2.10と活躍。足立光宏に次ぐパ・リーグ防御率第2位を記録した。以後も年間40イニング以上を6シーズン投げ、1969年には防御率2.51(規定回数未満)を残すなど、安定した成績を上げるも、1975年阪神タイガースへ移籍。しかし3試合の登板のみで、その年のオフに引退した。球種はスライダー、カーブ、シュートなど。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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