|
宮﨑 祐樹(みやざき ゆうき、1986年11月29日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称は「タイソン」。 == 経歴 == 長崎日大高時代は捕手を務め、2年時の夏に1番捕手として甲子園出場を果たす。2安打1打点と活躍は見せたが1回戦で敗退。3年時の夏は長崎県大会ベスト4で敗退。 亜細亜大学へ進学するも、度重なる故障に苦しみ1部リーグ通算11試合出場で僅か5打数1安打に終わる。 大学卒業後は、セガサミーに入社。捕手としての入部だったが、同期に捕手が2名入部したこともあって外野手に転向すると、打力を買われて春から指名打者としてスタメン起用されるようになり、3番・センターとして定位置を確保した。 2年目は静岡大会では打率.421の活躍で優勝に貢献、続く京都大会では打率5割をマークし首位打者を獲得した。 2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にてオリックス・バファローズから3位指名を受けた〔オリックス・バファローズ 2010年度ドラフト会議 契約交渉権獲得選手〕。 2011年は一軍出場は無く、二軍で96試合に出場したが打率.222、0本塁打と持ち前のパワーを発揮することは出来なかった。7月にはフレッシュオールスターゲームに出場した。 2012年は二軍でプロ初本塁打を記録するなど打撃で結果を残し、5月4日に一軍登録されたものの、4試合で9打席無安打、5三振と結果を残せず、5月10日に登録抹消された。その後、9月29日に一軍登録され、同日の千葉ロッテマリーンズ戦で1番・センターで出場すると、1回表にプレーボールの球を左翼席に叩き込み、プロ初安打初本塁打を初球先頭打者本塁打で飾った〔プロ初安打が先頭打者本塁打だったのは、1952年の種田訓久(南海)以来60年ぶりの快挙だった。また後述だが、初球先頭打者本塁打だったのは史上初だった。〕。この試合では3安打3打点で初の猛打賞、更には初盗塁も記録し、試合後に初のヒーローインタビューも受けた。なお、「1回表にプレーボールで初本塁打」を放った史上初の選手となった 。また、同僚の川端崇義がこの年に初本塁打を満塁本塁打で記録していたことで、先頭打者本塁打と満塁本塁打により初本塁打を記録した選手が同一年に揃ったのは、史上3例目となっている。その後も公式戦最終戦まで出場し続け、昇格後の7試合で打率.308(26打数8安打)、2本塁打6打点と結果を残した。 2013年は4月10日の福岡ソフトバンクホークス戦で決勝適時打を放つが 、その後は調子を落とし2軍に降格 。6月12日に再昇格すると、対読売ジャイアンツ戦で即日スタメン起用される。ところが5回裏の打席でスクイズのサインを間違えた為 〔3塁コーチからのサインに打席を外して確認しておきながら、次投球ではスクイズの構えすらせず見逃していた。〕に、三塁走者を狭殺されチャンスを潰してしまった。翌日には2軍降格となったが、6月28日には再び1軍に昇格した。1軍と2軍の往復を繰り返したが、自己最多の53試合に出場した。 2014年はBs Fan-Festa 2014にて帰国済みのチームメイトであるヘルマンのものまねを披露した。 2015年、福良淳一が監督代行に就任後起用機会が増え6,7月の出場試合27試合のうち25試合で出塁するなど活躍。最終的に45試合に出場し自己新の33安打14打点を記録。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮崎祐樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|