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宮崎 総子(みやざき ふさこ、1944年1月2日 - 2015年2月24日)は、日本のアナウンサーである。本名、宮崎 総子(みやざき ふさこ)。愛称は「ミヤちゃん」、「フチャコ」。アナウンサーとしてのテレビ出演で知られるほか、「無名塾」のプロデューサーとして演劇製作に携わったこともある。身長150cm〔。 == 来歴・人物 == 第二次世界大戦末期の1944年、裁判官だった父親の赴任先であった福岡県福岡市で生まれ、間もなく母・姉とともに広島県呉市の伯父宅に疎開した〔特集 生産者と消費者の架け橋を築く女性たちの役割 - インタビュー宮崎総子さん 農業協同組合新聞 、宮崎恭子『大切な人』、1996年、講談社、134-171頁〕〔高橋豊『幻を追って 仲代達矢の役者半世紀』1998年、毎日新聞社、34-38頁〕。戦後、父親が弁護士に転身し、一家で東京に移った〔〔宮崎総子『宮崎総子のわが家の食卓』、2007年、角川学芸出版、53、141、142、155頁、中国新聞、2007年2月1日、11面〕。 立教女学院高等学校から立教大学文学部英米文学科に入学、英語劇の女優として活躍し立教・慶應・早稲田・一橋の4大学英語劇コンテストでは主演演技賞を受賞したこともあってスチュワーデスにも憧れていたが、150cmで身長不足により断念。姉に進路を相談すると「フジテレビって上品な局よ」とアナウンサーになることを勧められて、面接でその事を話すと、面接官は大笑いしたという。卒業後1966年、アナウンサーとしてフジテレビに入社、1969年、大学での英語劇で鍛えた抜群の英語力を持ち、アポロ11号が月面着陸した折、外国人参加の特別番組の総合司会を担当し、見事な英語力で番組を仕切る。1971年、フジテレビの職員のままTBSが新たに始めるワイドショーのアシスタントのオーディションを受験し合格、フジテレビを退社。〔フジテレビ同期入社のアナウンサーには、大林宏、野間脩平、渡辺直子などがいた。 フジテレビ退社後には朝のワイドショー番組『モーニングジャンボ奥さま8時半です』(TBS)の司会を務め、女性司会者としては13年間という長寿登板記録を作り〔、はきはきとしたキャラクターで一躍朝の顔となった〔。その後も『そこが知りたい』(TBS)や『スーパーワイド』(同)など様々なテレビ番組に出演し、司会やリポーターを務めていた。 2005年、人間ドックで心臓の一部に壊死が見つかるも、普通に生活。2011年から1年間体調を崩した娘のためにフィリピン・ボラカイ島と日本を一緒に往復する生活も送る。〔 2014年春から心疾患の影響とみられる体調不良から約半年間入院し、2015年2月18日に再入院。2月24日、特発性拡張型心筋症のため大阪府吹田市の国立循環器病研究センターで死去(71歳没)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮崎総子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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