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宮崎 茂三郎(みやざき もさぶろう、1892年(明治25年) - 1972年(昭和47年))は、日本の剣道家。大日本武徳会剣道範士。武道専門学校教授。 身長5尺9寸、体重25貫の大柄な体格であり、200匁以上の竹刀を使用した。左上段からの強烈な横面は「弾丸」といわれ恐れられた。 == 経歴 == 三重県津市に生まれる。少年の頃から剣道を修練し、1909年(明治42年)、大日本武徳会内藤高治の内弟子となる。 1912年(明治45年)、大日本武徳会講習所を卒業。その後武道専門学校教授に就任。 1929年(昭和4年)、御大礼記念天覧武道大会指定選士の部に出場。リーグ戦で志賀矩、檜山義質を破ったが、堀正平に敗れ、リーグ敗退。 1934年(昭和9年)、皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会指定選士の部に出場。リーグ戦で千頭直之、近藤知善、菅原融を破ったが、準決勝で白土留彦に敗退。 1939年(昭和14年)、剣道範士に昇進。 1940年(昭和15年)、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会特選試合に出場。銃剣術範士伊藤精司との異種試合を披露した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮崎茂三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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