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宮川春汀 : ウィキペディア日本語版
宮川春汀[みやがわ しゅんてい]
宮川 春汀(みやがわ しゅんてい、明治6年〈1873年11月11日 - 大正3年〈1914年7月26日)とは、明治時代の浮世絵師
== 来歴 ==
富岡永洗の門人。三河国(現・愛知県渥美郡畠村(現・田原市福江町)に廻船業と薬種問屋を営んでいた豪商・渡辺家に生まれた。名は守吉。明治11年に母が絶家となっていた宮川家を継いだため、守吉も宮川を名乗る。
明治23年(1890年)幼少から得意としていた画業を志し上京、富岡永洗について絵を学んだ。春汀が画家となった理由は不明だが、同郷の日本画家・渡辺小華に憧れたからとする説がある。以来、写生を専らにして浮世人物を究め、特に好んで柔らかいタッチの子供絵を描いた。最初は師から「蓬斎洗圭」の名を与えられるが、明治28年(1895年)に「宮川春汀」に改名した。作画期は明治25年(1892年)代から亡くなる年までで、明治20年から明治30年代にかけて「風俗通」、「美人十二ヶ月」、「風俗錦絵雑帖」などの風俗画の他、雑誌口絵、新聞挿絵を描いている。こうした画業の傍ら、柳田國男田山花袋国木田独歩徳田秋声桐生悠々ら多くの若い文人たちと交流を重ねていった。また作家・巌谷小波と知り合い、明治31年5月小波が主催する「木曜会」に入会し、彼らと作品を批評したり句会を開いた。
明治38年(1905年)最愛の長女が電車事故で亡くなった事が、生来生真面目で神経質、そして多少の癇癪持ちだった春汀の心に、生涯重荷となってのしかかった。また大正2年(1913年院展出品を目指して制作に意欲を燃やすも、振るわず次第に神経が蝕まれていく。翌年正月に発病、入院するも快方に向かわず生涯を閉じた。墓は長女と同じ染井霊園。後に分骨され、郷里福江の菩提寺・潮音寺の宮川家墓地に納められた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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