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宮庄経友 : ウィキペディア日本語版
宮庄経友[みやのしょう つねとも]

宮庄 経友(みやのしょう つねとも)は、戦国時代武将安芸国国人吉川氏の一門。
宮庄を所領とし宮庄氏を名乗る。宮庄氏は後に吉川広家が一時継承するなど、吉川氏において重要な一門が称する名字である。江戸期以降にも「宮庄」を名字とする一族が吉川家中に見られる。
勇猛で知られる吉川氏の一族である経友は、その名に恥じぬ猛将であったとされている。永正14年(1517年)、武田元繁が吉川領である有田城へ攻撃を行った有田中井手の戦いにおいては、吉川軍主力を率いて有田城周辺に援軍として参陣。毛利元就率いる毛利軍と協力して武田軍に対抗し、経友は武田軍に猛攻を仕掛け、武田軍の勇将・熊谷元直を討ち取っている。
経友の娘は兄吉川元経の嫡男興経に嫁ぎ、藤姓吉川氏最後の嫡流である千法師を産む。毛利氏の圧力で元就の子吉川元春が入嗣した際には興経の隠居に反対し、他の反対派の家臣共々所領を没収された。その後の消息については不明である。
宮庄氏の名跡は元春と共に吉川家中に入った福原元正が継ぎ、宮庄元正と名乗った。一時期吉川広家も宮庄を称し、その後は熊谷氏一門の宮庄春真、その子家正が継ぎ、岩国領主吉川氏の家老として続いた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宮庄経友」の詳細全文を読む



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