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宮本 賢(みやもと けん、1984年7月18日 - )は、岡山県岡山市出身の元プロ野球選手(投手)。 == 経歴 == === プロ入り前 === 小学2年生からソフトボールを始め、4年生で投手。6年生時には岡山県選抜チームで全国大会準優勝(準決勝まで全試合完全試合を達成)。岡山市立竜操中学校時代にはヤングカープ岡山(硬式:ヤングリーグ所属)のエースとしてチームを県大会3位に導いた。 その後関西高等学校に進み、選抜高等学校野球大会に2度出場(・第73回大会と・第74回大会)。特に第74回大会では選手宣誓を行い、主将兼エースとしてベスト4進出に貢献した。春夏連続出場を狙った夏の予選では、準決勝の玉野光南高等学校戦でサヨナラ本塁打を打たれ敗れた。 早稲田大学入学後は打力を評価され外野手に転向したが、1年秋には本人の希望もあって投手に復帰。秋のリーグ戦では全てリリーフ登板ながら14イニングを無失点に抑え、チームの4連覇に貢献した。以降も同期の大谷智久と共に主力として投げ続け、2度のベストナイン(春季、秋季)、最優秀防御率(2005年春季)に輝いた。2006年には早大では織田淳哉以来となる投手での主将(第96代)に就任。チームを東京六大学野球秋季リーグ戦優勝、明治神宮野球大会準優勝に導いた。打力も良いため、投手ながら五番打者として先発出場したことや、一塁手として出場したこともある。東京六大学通算58試合登板23勝6敗〔12球団選手カラー百科名鑑 2007 日本スポーツ出版社 P28〕、防御率1.71、249奪三振。23勝は、早大の左投手では和田毅、藤井秀悟に次ぐ数字。最高速146km/hの直球と2種類のスライダーなど多彩な変化球を武器とする強気の投球が持ち味。 和泉実・早稲田実業学校高等部硬式野球部監督の手記によると、の選抜高校野球大会で打ち込まれた「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹(早大、当時同校硬式野球部・後にプロでチームメイトになる。)に当時の早大主将だった宮本が助言をし、これを受けて斎藤は膝を折り曲げて腰の位置を強制的に落とす投球フォームに改造した。これによって重心が安定してコントロールが良くなったことが夏の大会での優勝につながったという。 2006年のプロ野球ドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)を前に北海道日本ハムファイターズが希望入団枠制度を行使し、宮本との契約を締結した(同年11月7日公示)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮本賢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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