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宮本輝 : ウィキペディア日本語版
宮本輝[みやもと てる]

宮本 輝(みやもと てる、1947年(昭和22年)3月6日 - )は、日本小説家。本名は宮本正仁。兵庫県神戸市に生まれる。後、愛媛県大阪府富山県に転居。関西大倉中学校・高等学校追手門学院大学文学部卒業。
==経歴・人物==
1947年(昭和22年)、自動車部品を扱う事業を手掛けていた宮本熊市の長男として生まれる。1952年(昭和27年)に大阪のキリスト教系の幼稚園に入園するが、半年ほどで退園。その後、大阪市立曽根崎小学校に入学。1956年(昭和31年)に、父の事業のため富山市豊川町に転居し、富山市立八人町小学校に転入。1957年(昭和32年)に、父の事業が失敗したため兵庫県尼崎市に転居、尼崎市立難波小学校に転入。1959年(昭和34年)に私立関西大倉中学校に入学。1962年(昭和37年)に私立関西大倉中学校を卒業、同高校普通科に入学。
1965年(昭和40年)に私立関西大倉高校普通科卒業。1966年(昭和41年)に追手門学院大学文学部に入学。1970年(昭和45年)に同大学を卒業。
サンケイ広告社でコピーライターとして働いたが、20代半ば頃から重度の、当時の呼称で「不安神経症」、現在のパニック症候群に苦しんでおり、サラリーマン生活に強い不安を感じていた。ある雨の降る会社帰り、雨宿りに立ち寄った書店で某有名作家の短編小説を読んだところ、書かれていた日本語が『目を白黒させるほど』あまりにひどく、とても最後までは読み通せなかった。かつて文学作品を大量に読んだことがある自分ならば、もっと面白いものが書けると思い、退社を決め、小説を書き始める。それでも数年は芽が出ず、生活も苦しくなる。其の折、知人を通じて作家・編集者で「宮本輝」の名付け親でもある池上義一に出会い、作家としての指導を受ける。同時に池上の会社に雇って貰う。
1977年(昭和52年)に自身の幼少期をモチーフにした『泥の河』で、第13回太宰治賞を受賞してデビュー。翌1978年(昭和53年)には『螢川』(「文芸展望」第19号、1977年10月)で第78回芥川賞を受賞し、作家としての地位を確立する。
一時は結核療養のため休筆。『優駿』で吉川英治文学賞(歴代最年少40歳)、1987年(昭和62年)初代JRA賞馬事文化賞2009年(平成21年)『骸骨ビルの庭』で第12回司馬遼太郎賞2010年(平成22年)秋紫綬褒章受章。
代表作に「川三部作」と呼ばれる『泥の河』『螢川』『道頓堀川』や、書簡体文学の『錦繍』、大学生の青春を描きドラマ化もされた『青が散る』、自伝的大河作品の連作などで映画化やラジオドラマ化などもされている『流転の海』、『ドナウの旅人』、『彗星物語』など。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宮本輝」の詳細全文を読む



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