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宮村才一郎 : ウィキペディア日本語版
宮村才一郎[みやむら さいいちろう]
宮村 才一郎(みやむら さいいちろう、1893年明治26年)6月〔『人事興信録』第14版 下、ミ102頁。〕 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。官選県知事。旧姓・大島。
==経歴==
新潟県出身。大島久作の二男として生まれ、同年、宮村寅吉の養子となる〔〔『新編日本の歴代知事』842頁。〕。第一高等学校を卒業。1918年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業〔〔。民間企業に勤めた後、1922年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1923年内務省に入省し岐阜県属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』238頁。〕。
以後、山梨県西山梨郡長、同北巨摩郡長、地方事務官として山梨県福岡県各勤務、佐賀県書記官警察部長、鳥取県書記官・内務部長、岐阜県書記官・総務部長、内務書記官・地方局監査課長、東京府書記官・総務部長などを歴任〔。
1940年4月9日、奈良県知事に就任。戦時下の対応に尽力〔『新編日本の歴代知事』724頁。〕。同年11月9日、神祇院教務局長兼造神宮理事に転じた〔『官報』第4155号、昭和15年11月11日。〕。1942年6月15日、広島県知事に転任。戦災を受けた住民への支援などに尽力〔。1943年7月1日、内務省国土局長へ転任〔『官報』第4940号、昭和18年7月2日。〕。同年11月1日、防空総本部施設局長を兼任〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』94頁。〕。1945年4月21日、依願免本官となり退官した〔『官報』第5479号、昭和20年4月23日。〕。戦後公職追放となる〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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