翻訳と辞書 |
宮松関三郎[みやまつ せきさぶろう] 宮松 関三郎(みやまつ せきさぶろう、1886年1月14日 - 1947年9月26日)は、将棋棋士。贈八段。井上義雄門下。愛知県出身。 == 人物 == 宮大工の家に生まれる。幼い時から手先が器用であり才知にすぐれているとみなされ、宮大工の修行のために東京に出てきた。将棋が強かったため、井上義雄門下に弟子入りしプロ棋士となる。1928年七段。 1946年第1期順位戦B級に参加し1勝12敗1持将棋で降級。その直後、1947年9月26日に心臓マヒで急逝。1964年11月3日、将棋功労者表彰式で八段を追贈。 弟子に橋爪敏太郎、京須行男(森内俊之の祖父)、佐藤豊が居る。また、長男の宮松影水(本名・幹太郎)(1928年〜1972年)は、将棋の駒師として活躍した。コマ作りの手ほどきは、父から教わったものと伝えられる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮松関三郎」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|