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宮柊二 : ウィキペディア日本語版
宮柊二[みや しゅうじ]
宮 柊二(みや しゅうじ、1912年大正元年)8月23日 - 1986年昭和61年)12月11日)は、昭和時代に活躍した歌人。本名は宮肇(はじめ)。
妻は同じく歌人の宮英子(旧名、瀧口英子)。
==経歴==

*新潟県北魚沼郡堀之内町(現魚沼市)に書店の長男として生まれる。父は宮保治、俳号を木語といい俳句もやった。
*1919年堀之内尋常高等小学校に入学。
*1925年旧制長岡中学に入学し、在学中から相馬御風主宰の歌誌「木蔭歌集」に投稿を行っていた。
*1930年に卒業後は家業を手伝う。
*1932年に上京し東京中野の朝日新聞販売店に住み込みで働き、翌年北原白秋を訪ね、その門下生となり、歌作に磨きをかけた。
*1939年日本製鐵入社。途中、兵役に応召し、中国山西省で足掛け5年兵士として過ごす。出征中に第1回多磨賞を受賞するが、授賞式には出られず父が代理出席した。
*1946年処女歌集『群鶏』を刊行。
*1953年にはコスモス短歌会の代表として、歌誌「コスモス」を創刊する。
*1947年加藤克巳近藤芳美らと「新歌人集団」を結成。
生涯で13冊の歌集を刊行し、宮中歌会始の他、新聞・雑誌歌壇の選者をする。
*1979年堀之内町名誉町民の称号を贈られる。
*1983年、日本芸術院会員。
一方で病(糖尿病関節リウマチ脳梗塞等。召集された時も疾患により一時入院していて、また晩年は、転倒して左大腿骨頸部骨折で手術を受けている)を患い、入退院を繰り返しながら、東京都三鷹市の自宅で急性心不全のため74歳の生涯を閉じる。
門下には安立スハル島田修二奥村晃作高野公彦桑原正紀小島ゆかり大松達知など。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宮柊二」の詳細全文を読む



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