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宮沢 和史(みやざわ かずふみ、1966年1月18日 - )は日本のシンガーソングライター、俳優。元THE BOOMのボーカリスト ==人物== 山梨県甲府市出身。甲府市立千塚小学校、甲府市立北中学校、山梨県立甲府南高等学校、明治大学経営学部卒業。1986年にTHE BOOMを結成、歩行者天国でのライブを積み重ねた後、1989年シングル「君はTVっ子」でデビュー。以来ほぼすべての楽曲を作詞・作曲している。グループの知名度を特に高めた楽曲として「島唄」「風になりたい」があげられる。世界中を旅し、そこで得たインスピレーションで本格的な音楽を生み出してきた。楽曲はロックがすべての下敷きになってはいるが、沖縄民謡、サンバ、ケチャ、ジャズ、テクノなど、さまざまなジャンルに造詣が深い。ソロミュージシャンとしても楽曲を多数発表している。シンガーソングライターとして楽曲提供も多数。また著書多数。以前には俳優としても活動し、ミュージカルやテレビドラマ、映画にも出演した。世界各国で歌われた「島唄」などは世界中で知られており、日本を代表するミュージシャンである。妻はタレントでパーソナリティの光岡ディオン(1994年に結婚)。3人の子供がおり、長男の宮沢氷魚は2015年9月に男性ファッション誌「MEN'S NON-NO」の専属モデルとしてデビュー。 *明治大学には一浪して入学している。実は現役時代、駒澤大学に合格していたが入学書類を紛失してしまったために仕方なく浪人したと本人は語っている。ところが明治大学合格後にその書類が自宅から発見されたとのこと。 *無類の釣り好きとして知られる。 *ビートたけしと誕生日が同じ。また、彼の大ファンでもある。 *学生時代、レストランでアルバイト(調理担当)をしており、料理が得意である。店長候補に挙げられ、一時は音楽と店長のどちらをとるか迷ったらしい。家でもよく料理をするそうだが、効率的に料理をする。曰く、「料理をしながら使用済みの食器類を洗い、料理が完成する頃には洗い物がほとんどない状態」だとか。 *いい歌を作りそれを一人でも多くの人に伝えるため、CDの売り上げにはこだわっていない。現に「売れる歌は作らない」とコンサートで公言しているくらいである。 *「島唄」の影響か、沖縄出身だとよく間違えられる。本人曰く、「『沖縄(の出身)ですか』とよく言われていたけど、最近は『沖縄のどこですか』と聞かれる」。 *テレビなどで山梨出身ということを振られると、たいてい「海のない所です」と言う。 *2001年に「島唄」がアルゼンチンで大ヒットしていることは本人は全く知らず、インターネットを見たスタッフに知らされたという。カバーしたアルフレッド・カセーロも、「島唄」の作者である宮沢に無許可でリリースしていた。しかし、後に宮沢自身がアルゼンチンまで出向き、カセーロと二人で島唄を聴衆と共に大合唱した。 *永谷園が1990年代末期に放送していたお茶漬けのCMに宮沢そっくりの男性が出演していたが、この人物が宮沢ではないかとの噂がファンを中心に広まったことがある。宮沢本人もその話を周囲から聞かされていたらしく、テレビやラジオでこの話をしていた。また、1999年にデビュー10周年を迎えたTHE BOOMが『ミュージックステーション』に出演した際、タモリもこのことについて触れている。 *『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に2度目の出演日が1995年1月17日だった(岸谷五朗の紹介)が、阪神・淡路大震災のため番組自体が休止。THE BOOMの全国ツアー中だったため、番組が通常放送に戻った翌週1月23日は出演できず、ツアー先の鹿児島から電話生出演。石田ゆり子を「お友達」として紹介した。 *歌声とはうって変わって、地声が低い。上記の電話出演の際、電話で話す宮沢の声を聞いたタモリが「宮沢くん、寝起き?」と尋ねたくらいである。本人は「よく言われます」と答えていた。 *福岡ソフトバンクホークスのファンで2003年には開幕戦の始球式をした。2014年 THE BOOM 福岡での最終公演では、3年ぶりのホークス日本一を祝い公式球団歌 「いざゆけ若鷹軍団」を熱唱。ちなみに宮沢の息子は横浜DeNAベイスターズファンである。 *2005年に合併新設された甲府市立舞鶴小学校の校歌を作詞作曲。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮沢和史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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