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宮田典計[みやた のりかず]
宮田 典計(みやた のりかず、1954年9月27日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 兵庫県立社高等学校から鐘淵化学に入社。光内数喜の控え投手だったが1974年から頭角をあらわす。1975年の日本選手権では、5試合すべてに勝利投手となりチームの初優勝に貢献、最優秀選手賞を受賞する。 同年のドラフト3位で阪神タイガースに入団。1978年にプロ初勝利を挙げる。これが生涯唯一の勝利であった。1981年のシーズン中に、金銭トレードで阪急ブレーブスに移籍。しかし、活躍できず1984年オフに引退した。翌年から、打撃投手に転向した。イチローの打撃投手を務めたこともある。2001年からは、オリックスのフロントに入り、査定担当などを経て、2016年1月合宿所「青濤館」寮長。 1980年11月、巨人とのオープン戦で王貞治に現役最後のホームランを喫したことで知られる。140km/h前後の速球と、縦割れのカーブが武器であった。ウェスタン・リーグの1試合最多与死球(4個)を記録したこともある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮田典計」の詳細全文を読む
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