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宮間田遺跡[みやまだいせき] 宮間田遺跡(みやまだいせき)は、山梨県北杜市武川町三吹字宮間田・宇御崎に所在する遺跡。平安時代(9世紀中頃から10世紀前半)の集落遺跡。 == 立地と地理的・歴史的景観 == 所在する北杜市武川町三吹は県北東部に位置する。八ヶ岳南麓、釜無川右岸の河岸段丘上に立地する。標高は513メートル付近。 旧武川村域一帯では縄文時代からの遺跡が多く分布し、昭和58年時点で17箇所が確認されている。近在には古代の遺跡も多く、『和名類聚抄』に記される巨摩郡真衣郷(まきのごう)に比定される。古代に甲斐国は甲斐の黒駒と呼ばれる名馬の産地として知られ、『延喜式』に記される甲斐の三御牧(穂坂牧・真衣野牧・柏前牧)の一つである真衣野牧(まきののまき)が設置されていたと考えられている〔『山梨県の地名』、p.595〕。 真衣野牧は9世紀前半代には設置されていたと考えられており〔『宮間田遺跡』、p.215〕、宮間遺跡も牧に関係する集落であった可能性が考えられている〔『宮間田遺跡』、p.215〕。平安時代中期に東国では平将門の乱や平忠常の乱が発生し、これに伴い牧も衰微する。 真衣野牧の駒牽(こまひき)に関する記事は11世紀を終期としているが、中世には『吾妻鏡』建久5年(1194年)3月13日条に「甲斐国武河御牧」の存在が記されており、真衣野牧の後身である可能性が指摘されており〔磯貝正義『郡司及び采女制度の研究』吉川弘文館、1978年〕、宮間田遺跡では13世紀前半代の山茶碗が出土している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮間田遺跡」の詳細全文を読む
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