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家坂幸三郎 : ウィキペディア日本語版
家坂幸三郎[いえさか こうさぶろう]
家坂 幸三郎(いえさか こうさぶろう、1878年 - 1952年)は日本の医師ハンセン病療養所である国立療養所宮古南静園国立療養所沖縄愛楽園所長を務めた。クリスチャンで、現在でも宮古南静園に教会がある甦生会(よみがえりのかい)を結成した。
==略歴==
1878年 - 新潟県見附市に出生。〔加藤早稲田大学の前身、東京専門学校、英語政治科卒業。外交官になりたかったが、既に医師になっていた五兄の勧めにより医学に進む。1906年 - 熊本医学専門学校卒業。卒業後、同校実習病院、牧野研究所(東京)、芦屋町立病院(福岡県)に勤めた。1922年 - 沖縄県衛生技師としてマラリア予防に従事した。1930年 - アメリカのある大学から沖縄県に「沖縄におけるらい事情」についての照会があったが、家坂が書いた報告書は高い評価をうけ、これを基にした論文で細菌学博士を贈られた。これで、ハンセン病に関心を深めた。1933年10月 - 宮古療養所所長。妻が病弱で単身赴任であった。1938年 - 同職を辞任。沖縄県の健康保険医をしていたが、戦災で那覇市の若狭町の自宅は被爆。時期は不明であるが国頭郡久志村へ移動した。沖縄本島の沖縄県健康保険課の嘱託。コザ中央病院研究室長。1946年9月12日 - 1951年10月12日、国立療養所沖縄愛楽園三代目園長。ついでコザ中央病院に入院。1952年 - 没する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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