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} }} |- |ランドサット7号 (Landsat 7) が撮影した家島諸島のある播磨灘海域。 ※表示環境によっては文字がずれることがあります。 家島諸島(いえしましょとう)は、瀬戸内海東部の播磨灘〔家島諸島と本州の間に海峡・瀬または瀬戸・灘等の固有の名はなく播磨灘と呼称される〕(姫路市から沖合い約18km)にあり、東西26.7km、南北18.5kmにわたり大小40余りの島嶼で構成される諸島。諸島全域が兵庫県姫路市に属し兵庫県の淡路島・香川県の小豆島・本州に囲まれている。面積は19.7平方km、人口は約8000人。 == 主な島 == 家島諸島の内、名前の付けられた島は27有る。このうち人々が住むのは家島・坊勢島・男鹿島・西島の4島〔播磨地名研究会 2007、pp.343-351。〕。 ;家島(いえしま/えじま/えしま) :家島諸島の中央に位置し、宮(みや)と真浦(まうら)の二つの地区がある(行政上の地名としては「家島町宮」「家島町真浦」)。天然の入り江を用いた家島港がある。面積は5.46km²。家島地区の人口の6割が住む〔。 :読みは江戸時代古文書(高島秀和家文書 家島町教育委員会発行「家島郷土歴史史(資)料集4」)記載通り「いえしま」である。その他に「えしま」「えじま」と呼ぶ地域もある。 ;;真浦 ::家島の中心地。本島の他に群島内の18島が属する。湾の中間にあったことから「間浦」と呼ばれたのが転訛したものか〔。 ::真浦神社はかまど神である奥津彦神・奥津姫神を祀る。藻塩焼きに由来するものと考えられている。その背後にある飯森山は戦国時代の瀬戸内水軍の東端の根拠地と考えられている。 ::家島神社の天神祭で演じられる「真浦の獅子舞」は島内唯一の県指定無形民俗文化財である〔。 ;;宮 ::家島湾入り口の集落。他に松島・加島・大コ島・男鹿島が属する。1225年(嘉禄元年)に近江の白鬚神社から猿田彦神を勧進して宮浦神社を創建したことから、古くは「宮浦」と呼ばれていた〔。 ::宮港を中心に姫路市役所家島事務所(旧家島町役場)、兵庫県立家島高等学校、中学校・小学校、家島郵便局などが置かれている。 ;男鹿島(たんがじま/だんがじま) : :宮に属する。男鹿小学校があった(廃校)。面積は4.57km²。 :男鹿島の名は、姫路のあたりに住んでいたつがいの鹿のうち、牡鹿がこの島へと渡ってきたことにちなむという〔。対応して姫路市飾磨区に妻鹿(めが)という地名がある。 ;坊勢島(ぼうぜじま) :行政上の地名としては「家島町坊勢」。姫路市役所坊勢サービスセンターと坊勢中学校、家島坊勢郵便局がある。面積は1.87km²。宮同様、かつては坊瀬浦と称した。。 :坊勢島の名は、『新・姫路の町名』では883年(元慶7年)学論に破れてこの島へ流された比叡山の高僧・覚円が「坊勢寺」を建立したことにちなむという。あるいは「ぼう」が浸食地形を、「ぜ」が瀬や岩礁をさすことによるものか〔。姫路市では覚円の弟子がわたってきたことや坊勢法師と名乗る水軍の首領にちなむといった説を紹介している。 ;西島 :家島諸島で最大面積を占め、南北に4.5km、東西に6kmで面積は6.59km²。隣接する坊勢島との距離は最も近い部分箇所で50mである。場所により坊勢と真浦それぞれに属する〔。兵庫県立いえしま自然体験センターがある。 :「オドモ」や「マルトバ浜」、「コウナイの石」などといった地名が残るが、その意味は明らかではない〔。マルトバ浜は「韓浜(からはま)」ともいっていたが、『播磨国風土記』によれば異国の船が神の怒りに触れて打ち砕かれ漂着したことによるという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「家島諸島」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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