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富塚宗綱
富塚 宗綱(とみづか むねつな、天文12年(1543年) - 慶長18年(1613年)〔やまがた情報局 戦国観光 伊達家の人々 〕)は戦国時代の武将〔『戦国人名事典』(阿部猛、西村圭子編)551頁〕。通称は亀松、又市郎、孫兵衛尉、近江守〔。天文の乱で討ち死にした富塚仲綱の子〔。伊達輝宗・政宗父子の家臣〔。陸奥国伊達郡森山城城主〔。子に信綱〔。 == 生涯 == 天文12年(1543年)〔、富塚仲綱の子として生まれる〔。宗綱が幼少の頃、富塚家は当主・富塚仲綱が伊達稙宗に属して討ち死にし、伊達晴宗によって所領を没収されるが、天文22年(1553年)に懸田俊宗の懇願によって宗綱は所領の一部を返還された〔。その後、伊達輝宗・政宗父子に従って人取橋の戦い〔などの緒戦に参加し、この功績から輝宗より宿老に命じられた〔。文禄の役では岩出山城の留守居を務めている〔。政宗の治世のうちに没したという〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富塚宗綱」の詳細全文を読む
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