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富士信章[ふじ のぶあき] 富士 信章(ふじ のぶあき、生年不詳 - 寛保元年(1741年)7月26日)は江戸時代の富士山本宮浅間大社大宮司で、富士氏当主。 == 略歴 == 富士山本宮浅間大社の大宮司で、始め将監を称し、後に中務小輔と称した。戒名は蓮地院殿自覺淨秀大居士。大宮司職には正徳5年(1715年)10月に就いたという。これは信時の第三女に配したことによるもので、五社神社の神官である森氏の子孫である。 信章は公文・案主が役銭を大宮司に無断で代官所に差し出したことを非法として寺社奉行所に訴えた。この結果、黒田直邦・太田資晴・小出英貞の連署にて、公文・案主を非とする採決が与えられた。富士信時の代の天和3年(1683年)に四家合議制が制定されたが、これにより公文・案主が力を強めており、大宮司と公文・案主間で争いが生じていた。これらから大宮司を擁護する採決であったと考えられる。これにより、公文・案主は大宮司の次官であることを明記され、また富士氏の家紋である棕櫚の紋なども通紋や幕などに用いることが禁止された。 子に嫡男信治と一女がいる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富士信章」の詳細全文を読む
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