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富士修験 : ウィキペディア日本語版
村山修験[むらやましゅげん]

村山修験(むらやましゅげん)は、村山(現在の静岡県富士宮市村山)における富士山修験道富士修験ともいう。
== 信仰形態 ==
村山修験は修験道本山派に属し、聖護院門跡の直末にあたる〔大高康正,「富士村山修験と聖護院」『山岳修験 (50)』,2012-08〕。また村山修験は、富士山信仰において修験道を中心とするという点で特徴的であり、これは御師などを中心とする吉田や河口、須走などと大きく異なる〔『浅間神社の歴史』、826-827〕。平安時代成立の『地蔵菩薩霊験記』に「末代上人トゾ云ケル。彼の仙駿河富士ノ御岳ヲ拝シ玉フニ。(中略)ソノ身ハ猶モ彼ノ岳ニ執心シテ、麓ノ里村山ト白ス所ニ地ヲシメ …」とあり、古来から富士信仰の中心地であった。
応永5年(1398)の「伊豆走湯山密厳院領関東知行地注文案」(醍醐寺文書)には「一, 駿州 富士村山寺」とあり、当初村山修験は伊豆走湯山密厳院の末寺として存在していた〔。
村山浅間神社の境内には村山修験における祭事などで利用された水垢離場や護摩壇などが残る。水垢離場では道者〔当時の富士山の登山者をそう呼ぶ〕によって禊が行われた。「竜頭ヶ池」という場所から水を引き、それを聖水として滝に打たれて身を清めた後、不動明王に安全を祈願したとある〔静岡県構成資産候補の紹介 〕。
『富嶽之記』(1733年)では村山をこのように表現している。
このように浅間神社を中心として構成され(富士山興法寺)、村山三坊が支配し〔三坊は宿坊でもあるが、村山修験者である大鏡坊頼秀のように、人物の呼称でもある。〕、山伏など修験道の形態を有していた。
村山修験は対外的には富士垢離という信仰形態を確立させている。『諸国図絵年中行事大成』によると、富士行者が水辺にて水垢離を行うことにより、富士参詣と同様の意味を持つ行であるという〔京都府笠置町に伝わる「富士垢離」について 、富士市立博物館〕。この富士垢離を取り仕切る集団に「富士垢離行家」というものがあり、大鏡坊が聖護院に取り付け〔『浅間神社の歴史』、828項〕、村山修験先導の下で行われていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「村山修験」の詳細全文を読む



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