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富士家 : ウィキペディア日本語版
富士氏[ふじし]

富士氏(ふじし、ふじうじ)は、日本氏族駿河国富士郡富士上方〔現在の静岡県富士宮市一帯〕の領主富士山本宮浅間大社大宮司を継承する社家であったため、富士大宮司家とも称される〔『臥雲日件録』の寛正6年(1465年)6月18日条に「日本所謂三大宮司」とあり、厳島神主家・熱田大宮司家(千秋氏)と共に日本三大宮司に数えられていた〕。また戦国期には富士城城主を務める武家であった。
== 富士大宮司との関係 ==
時代により差異は考えられるが、浅間大社の神職の中で「富士氏」を称していたのは、富士大宮司を筆頭に以下公文〔神職の1つで、文書を掌る〕・案主〔神職の1つで、文書を立案する〕の3つの神職の家柄であった〔宮地・広野(1929)P534〕〔岡田米夫,『日本史小百科 神社』,近藤出版社〕。

 





慣例として富士大宮司が政治的な部分を執り行ない、案主・公文は庶子衆とも呼ばれていた
宮地・広野(1929)P528〕。また室町時代においては、大宮司職の補任権は足利将軍家にあった〔例えば「足利義政御内書写」(『戦国遺文』今川氏編28号)は、足利義政の意志で大宮司職の補任を決定する内容である〕。江戸期には富士大宮司と公文・案主間で争論が生じたが〔幕府裁許状「大宮司富士家文書」、享保10年(1725年)11月6日〕、幕府裁許状に「公文・案主事、大宮司同格とは不可心得」とあるように、富士大宮司は富士家の中で別格な存在であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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