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富士山興法寺[ふじさんこうぼうじ] 富士山興法寺(ふじさんこうぼうじ)は、富士山の村山修験における中心地である〔「国指定文化財等データベース」の富士山の詳細解説より〕。村山興法寺とも呼ばれる。 == 起源と概要 == 創建は末代とされ〔、鎌倉時代に頼尊によって開かれたと伝わる。末代の流れを汲む頼尊が村山に興法寺を開き、寺号を「興法寺」としたという。例えば文明10年(1478年)の、村山修験と富士氏の協力により造立された仏像には「富士山興法寺衆徒」という刻がある〔 大高康正,「中世後期富士登山信仰の一拠点-表口村山修験を中心に-」,『帝塚山大学大学院人文科学研究科紀要4』,2003-01〕〔村山修験は複数の坊や衆徒などによるもので、一方富士氏は富士忠時と富士親時親子による〕。このため、少なくとも15世紀には富士山興法寺は存在していた。頼尊は「富士行」を行うなど、12世紀には既に村山周辺において修験道などの富士信仰に基づく宗教活動が行われていたと考えられている〔第8回 富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議〕。 興法寺は大日堂や現在の村山浅間神社などにより構成され、村山三坊によって管理された。単独の寺としてではなく、堂社や村山三坊を含めた総称と考えられるものである〔富士市立博物館 〕。 主な建築物として大日堂、村山浅間神社、大棟梁権現社などがあり、これらは村山三坊により管理された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富士山興法寺」の詳細全文を読む
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