翻訳と辞書 |
冨山卓也[とみやま たくや]
冨山 卓也(とみやま たくや、1980年9月19日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手でポジションはDF。 == 来歴 == 逗葉高校から国士舘大学に進み、在学中の2000年からJFLに出場。卒業後の2003年よりJFLの佐川急便東京SCに加入した。当初は途中出場や守備的MFでの起用もみられたが、2004年シーズン途中よりDFの定位置を確保し、守備にとどまらずセットプレーなどでの得点源としても活躍をみせた。佐川東京の最終年となった2006年にはこの年の年間最小失点となる守備陣のリーダー格としてチームの2位躍進に貢献し、初のJFLベストイレブンに選出された〔『2006 第8回日本フットボールリーグ公式記録』日本フットボールリーグ事務局〕。 2007年、佐川東京が佐川急便大阪SCと合併して新たに発足した佐川急便SC(後のSAGAWA SHIGA FC)に加入。この年はチームの初優勝とともに、個人としても初の全試合出場を果たした。翌2008年に負傷で欠場した時期こそあったものの、その後も長く不動のレギュラーとして安定した活躍を続け、2009年、2011年には2度目、3度目のJFL優勝を果たしたチームの中心選手として、いずれの年もベストイレブンに選出された。 2011年12月4日のJFL前期第2節〔東日本大震災発生のため3月に行われる予定だった試合が12月に行われた。〕 のカマタマーレ讃岐戦でJFL通算300試合出場を達成、また2012年6月3日のJFL第14節のツエーゲン金沢戦でJFL通算試合出場数を315試合とし、Honda FCの石井雅之がもつ314試合を抜いてJFL最多出場記録を更新した。この年のシーズン終了時にはJFL通算出場試合数を333試合にまで伸ばした。この記録は2014年5月に横河武蔵野FCの小山大樹選手が記録を塗り替えるまで最多記録となっていた。 2012年シーズンをもってSAGAWA SHIGAが活動を停止し、それとともに選手生活を終えている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「冨山卓也」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|