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富田三保之介[とみた みほのすけ] 富田三保之介(とみた みほのすけ)は幕末の尊皇志士。水戸藩士〔明石鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)347頁参照。〕〔田尻佐編『贈位諸賢伝2』(国友社、1927年) 164頁参照。〕。諱は知定。富田左近の長男で家禄は500石。側用人、軍事奉行を務める。位階は贈正五位〔。 == 家系 == 本姓は源氏。家系は宇多天皇を祖とする宇多源氏で、近江源氏・佐々木氏の傍流にあたる出雲源氏・富田氏。月山富田城を築城した佐々木義清の孫 富田義泰を祖とする。元々は出雲国の住人であったが、主君である北近江・出雲守護 京極政経が守護代 尼子経久に追われたのに伴い、主君 政経に随行してもう一方の分国である北近江に移住した。富田一白の代に京極氏を離れ豊臣秀吉の家臣となる。子の信高の代に豊臣姓を授けられるとともに信濃守従五位下に任官し、伊勢国安濃津城主に封じられ大名となる。しかし、後に除封となり、水戸藩主 徳川頼房の招きを受けて水戸徳川家に仕官した。以降、子孫は水戸藩士となる〔太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第2巻』(角川書店、1934年)4019頁参照。〕。
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