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富田林寺内町 : ウィキペディア日本語版
富田林寺内町[とんだばやしじないちょう]

富田林寺内町(とんだばやしじないちょう、とんだばやしじないまち)は、大阪府富田林市にある寺内町江戸時代から昭和初期の町並みが残ることで知られる。
== 歴史 ==
富田林寺内町は、戦国時代末期の永禄3年(1560年)、西本願寺興正寺第14世・証秀が、石川西側の河岸段丘の荒芝地を百貫文で購入し、周辺4ヶ村(中野・新堂・毛人谷(えびたに)・山中田)の「八人衆」の協力で、芝地の開発、御堂(興正寺別院)の建立、畑・屋敷・町割等を行い、富田林と改めたことに始まるという(興正寺御門跡兼帯所由緒書抜)。
由緒書には上記のように記載されているが、由緒書は江戸時代の編纂物であることから確固たる信憑性を得ることは叶わない。
八人衆は、この功により年寄役となり、寺内町の自治を行った。織田信長石山本願寺による石山合戦時には、本願寺・御坊側につかなかったことから、信長から「寺内之儀、不可有別条(じないのぎ、べつじょうあるべからず)」との書状を得ることにより、平穏を保った。しかし、近年では寺内町内部に御坊派と穏健派がいたことも示唆されている〔堀新による。〕
そして石山合戦終戦後において、織田信長から再度書状を得たがそこには「河州石川郡之内富田林」と記載されていることから寺内町を否定した。
正確な否定は豊臣秀吉が1584年に蔵入地化してからという指摘もあることを留意しなければならない。
江戸時代公儀御料となり、酒造業で栄えた。また、幕末期には、19名の大組衆(杉山家、仲村家、奥谷家などの有力町人衆)により自治が行われていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「富田林寺内町」の詳細全文を読む



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