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寒川 光永(さんがわ みつなが) #室町時代末期から江戸時代の武将。寒川元政の次子。 #安土桃山時代の武将。寒川元隣の子。 ---- 寒川 光永(さんがわ みつなが、? - 正保2年(1646年))は、室町時代末期から江戸時代の武将。寒川元政の次子。讃岐国昼寝城主。官位は三河守。 兄元隣より昼寝城を任されるが、天正3年(1575年)に海部氏に攻められて城を失う。 兄の死後は各地を転々とし、誰に仕えることもなく出家。浄慶と号す。 ---- 寒川 光永(さんがわ みつなが、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。寒川元隣の子。通称は七郎。官位は民部大輔。 光永よりも七郎の名で知られ、豊臣秀吉に仕える。 天正13年(1587年)12月、仙石秀久に属して戸次川の戦いに参戦するが敗れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寒川光永」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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