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寒田親将[そうだ ちかかど]
寒田 親将(そうだ ちかかど/ちかまさ)は、戦国時代の武将。大友氏の家臣。加判衆(家老職)の一角であった寒田親景(ちかかげ)の子孫と言われる(親景の息子とする説が有力)。 == 出自 == 寒田氏は相模国大友郷時代から大友氏に付き従って豊後下向したと言われる。神奈川県秦野市に寒田神社があるが、ここは「さむた」と呼称する。寒川神社六摂社の一つで、古庄氏出身の大友氏の母方である波多野氏がここの出身である。大友氏総領である大友能直が源頼朝の命令で豊後国守護職に任命される直前に、秦野の大友郷に入って地名である「大友」を姓にした(『大分県の歴史』渡辺澄夫)時から寒田氏もおそらく従属したのではないかと思われる。 寒田親景については『大分県資料』や「朽網親満之乱」(田北学)によると、明応6年(1497年)3月の大友氏年寄衆連署奉書で、加判者の一人として名が載っており(他は朽網親満、小佐井堅永、永富繁直、大津留繁綱、本庄繁栄)、親景が大友氏中盤あたりの時代に家老職級の位置にあったことだけは明確であるが、子孫の親将については所伝がほとんどない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寒田親将」の詳細全文を読む
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