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寒雷[かんらい] 「寒雷」(かんらい)は、俳誌。1940年10月、「俳句新聞」を前身として東京の交蘭社から創刊。加藤楸邨が主宰。「俳句新聞」改題として当初は第66号としていたが、戦後になって改題号を第一号に改めた〔阿部誠文 「寒雷」 『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年、134頁。〕。1945年1月号をもって一時休刊、1946年9月に復刊。1951年4月より大田区の楸邨宅に発行所が移る。1993年に楸邨が没してのちは主宰を置かず、前田正治、ついで1996年7月より楸邨の次男の妻加藤瑠璃子が一般投句の選者を務めている〔今井聖 「寒雷」 『現代俳句大事典』普及版、三省堂、2008年、170-171頁。〕。2014年5月号で通巻850号。 == 特色 == 楸邨が自身の所属する「馬酔木」の明るい叙情的な俳句に飽き足らなくなり、人間の生活と内面を描く俳句を求めたことが創刊の契機である。創刊号で楸邨は「俳句の中に人間の生きることを第一に重んずる。生活の真実を地盤としたところの俳句を求める」ことを指針として掲げた〔。 従来の俳誌に見られるような主宰への個人崇拝のような形でなく、対等に議論し合える場をつくることが楸邨の方針であり〔、戦時下には学生層作家の拠点となる〔あらきみほ 『図説 俳句』 深見けん二監修、日東書院、2011年、168-169頁。〕。この方針の結果としてのちに社会性俳句を推進した金子兜太、沢木欣一、原子公平などをふくむ多様な個性を持つ俳人を多数輩出した。下に挙げている俳人のほか、一般投句欄では吉屋信子、清水崑、中曽根康弘といった著名人からの投句もあった〔。 また実作以外にも芭蕉などの古典や外国文学に関する論が載り学究的雰囲気を持つことも特徴であった〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寒雷」の詳細全文を読む
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