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寛意(かんい、康平5年(1062年) - 康和3年6月15日(1101年7月12日))は、平安時代後期の真言宗の僧。父は小一条院敦明親王の子敦貞親王。観音院僧都・宮僧都とも称される。 == 略歴 == 性信入道親王のもとで真言宗広沢流の法を受け、白河天皇の護持僧となった。1086年(応徳3年)性信入道親王の依頼を受けて高野山に灌頂院を創建し、権少僧都・円宗寺別当に任じられた。1088年(応徳5年)白河上皇の高野山行幸の際、命により御影堂を開扉している。孔雀経法を修して霊験があったとされ、権大僧都・東寺二長者に任じられた。1092年(寛治6年)高野山往生院谷に隠棲し、遍照光院を中興した。当時華美であった広沢流を嫌いその復古につとめ、その後観音院流の祖とされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寛意」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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