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察哈爾 : ウィキペディア日本語版
チャハル

チャハルモンゴル語:Цахар、 転写:čaqar、漢語:察哈爾、英語:Chahars)は、近世以降のモンゴルの有力部族集団のひとつ。代以降にはそれらの遊牧する地域を指す名称としても用いられた。清朝モンゴル八旗蒙古内属蒙古外藩蒙古の三種に区分したが、チャハル部は、後述の「ブルニ親王の乱」以降、旧来の首長家が廃止され、清朝皇帝に直属する「内属蒙古」とされた。
==歴史==

===成立===
15世紀末、北元モンゴル(韃靼)はダヤン・ハーンによって、トゥメン(万人隊)と呼ばれる六つの大部族に再編成され、三トゥメンずつ、ゴビ砂漠の東北の「左翼」とゴビ砂漠の西南の「右翼」に分かれた。左翼を構成するトゥメンは、チャハル,ハルハウリヤンハンの三トゥメンで、筆頭のチャハル・トゥメンは、13世紀にクビライが兄モンケから与えられた京兆(西安)所領の後身で、代々クビライの母ソルコクタニ・ベキ(エシ・ハトン)の霊に奉仕した。クビライの即位後、子の安西王マンガラ、孫の安西王アナンダと相続され、泰定帝の代に安西王オルク・テムルに与えられたが、1332年、文宗トク・テムルによって取り潰された。1510年ダヤン・ハーンがモンゴルを再統一すると、ダヤン・ハーンの直轄領となった。〔岡田 2010,p68〕〔宮脇 2002,p149-150〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「チャハル」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chahars 」があります。



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