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顕粛皇后[けんしゅくこうごう]
顕粛皇后(けんしゅくこうごう、1079年 - 1131年)は、北宋徽宗の皇后。姓は鄭氏。 == 生涯 == 初め欽聖皇后(徽宗の嫡母)の侍女を務め、後に端王趙佶(のちの徽宗)の側室となった。低い身分に生まれながらも美貌で詩才があったため、寵愛を受けた。端王が皇帝に即位した後、初め才人となり、嬪に進み、貴妃にいたった。政和元年(1111年)、皇后に立てられた。 多くの女子を産んだ。父の鄭紳(元は居酒屋の店主)は太師に任じられ、また楽平郡王に封ぜられた。 宣和7年12月23日(西暦で1126年1月25日)、徽宗の譲位により欽宗が即位すると鄭氏は太上皇后となり、寧徳太后と称された。靖康の変後、金に連行されて多くの辱めを受け、金の天会9年(1131年)に死去した。南宋において顕粛と諡された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「顕粛皇后」の詳細全文を読む
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