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寺内正毅 : ウィキペディア日本語版
寺内正毅[てらうち まさたけ]

寺内 正毅(てらうち まさたけ〔読みは「まさたけ」が一般的だが、「まさたか」(「陸海軍将官人事総覧 陸軍篇」)、「まさかた」(「歴代陸軍大将全覧(明治編)」)など異なる読み方がある。〕、、嘉永5年2月5日1852年2月24日) - 大正8年(1919年11月3日)は、日本陸軍軍人政治家階級位階勲等功級爵位元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵。書の雅号は桜圃、魯庵。「ビリケン宰相」の異名を持つ。
陸軍大臣(第151617代)、外務大臣(第2231代)、韓国統監(第3代)、朝鮮総督(初代)、内閣総理大臣第18代)、大蔵大臣第22代)などを歴任した。
明治から大正にかけて陸軍軍人として活躍し、第1次桂内閣では児玉源太郎の後任として陸軍大臣に就任した。以来、第1次西園寺内閣第2次桂内閣でも陸軍大臣を務めた。その後、曾禰荒助の後任として韓国統監に就任し、日本への併合を推し進めた。韓国併合後は朝鮮総督に就任した。のちに内地に帰還すると、寺内内閣を発足させ、内閣総理大臣を務めるとともに、外務大臣や大蔵大臣といった国務大臣を兼任した。なお、元帥府に列せられていることから、階級を呼称する際には元帥称号を冠して「元帥陸軍大将」と称される。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
嘉永5年(1852年)、周防国山口(のちの山口県山口市)に長州藩士・宇多田正輔の三男として生まれる。後に母方である寺内勘右衛門の養嗣子となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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