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寺岡恒一[てらおか こういち] 寺岡 恒一(てらおか こういち、1948年 - 1972年1月17日)は新左翼運動家。東京都文京区出身。 芝高等学校卒業。横浜国立大学工学部化学工学科入学。 日本共産党(革命左派)神奈川県委員会〔同名の日本共産党との直接の関係はない。〕に加入し、軍事部門のリーダーとして真岡銃砲店襲撃事件や印旛沼事件などに関与。後に連合赤軍に加わり中央委員となる。山岳ベース事件で連合赤軍委員長の森恒夫に「死刑」を宣告され、メンバーによって殺害された。 ==エピソード==
*「処刑」前の追及では、森恒夫による「○○と思っただろう」という追及を言われるがままに認め、更に「○○するつもりだった」という告白を行っていた。厳しい追及によって本心ではないことを認めたり告白したりしたとされる。一方で権力との具体的な接触について追及された際は、これをきっぱりと否定していた。 *森恒夫は「処刑」の際、寺岡を「スターリンと同じだ」とした。中ソ論争で中国派(スターリン擁護)の立場にあった元革命左派の永田洋子や坂口弘は、寺岡処刑の理由としてスターリンを持ち出すことに違和感を持ったが、それを森に問うことは無かった。「処刑」前の寺岡への追及においては、スターリン問題と絡めた追及は行われていなかった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺岡恒一」の詳細全文を読む
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