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寺島 長資(てらしま ながすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。越後国の守護代・戦国大名の長尾氏(上杉氏)の家臣。魚津城の戦いにおける守将の一人。 == 生涯 == 吉江景資の長男。寺島和泉守の養子となり名跡を継いだ。名は長秀ともいう。 天正10年(1582年)の魚津城の戦いでは、祖父吉江宗信、父吉江景資、弟中条景泰と共に守将となって奮戦するも、同年6月3日に織田方の大将柴田勝家に攻め落とされ、一族と共に自刃した。「魚津在城衆十二名連署書状」には4番目に名が記されている。 菩提寺となった同地の遍照寺に長資の墓碑が伝わっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺島長資」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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