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寺崎盛永[てらさき もりなが] 寺崎 盛永(てらさき もりなが、? - 天正9年(1581年)7月17日)は戦国時代の武将。越中国人。上杉家臣。通称民部左衛門尉。 寺崎氏は越中国願海寺城に拠った国人で、能登畠山氏や神保氏に仕えていたという。盛永は上杉氏の勢力が越中に及んでくるとこれに臣従したが、上杉謙信の急死後、織田方へ寝返った。ところが天正9年(1581年)2月に上杉軍が来襲した際に、上杉軍に内通していたとの疑いをかけられ、5月4日未明、菅屋長頼の織田軍に居城を攻められ、家臣が内応して落城した。盛永と子息の喜六郎は捕らえられて近江佐和山城に送られ、7月17日、織田信長の命により切腹させられた。その様子は『信長公記』に詳しく、特に十七歳の喜六郎は美少年で、その最期は見事であったと太田牛一は書き留めている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺崎盛永」の詳細全文を読む
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