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寺池城[てらいけじょう]
寺池城(てらいけじょう)は、宮城県登米市登米町にあった日本の城。「寺池館」とも呼ぶ場合もあり、通称「臥牛城」。江戸時代は伊達氏の支配下の元「登米要害」と称した。 == 歴史 == 築城年代は不明。葛西氏により築城された。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置によって葛西晴信は改易。木村吉清が葛西氏、大崎氏の旧領30万石を与えられ、寺池城を居城とした。 しかし、葛西大崎一揆が勃発。一揆軍に城を占拠されたため、木村吉清は佐沼城に逃れた。その後寺池城は伊達政宗により落城。 現在の寺池城は、慶長9年(1604年)、伊達政宗の家臣白石宗直が移り修築し、居城としたものである。その後白石氏は伊達氏を名乗ることを許され、寺池城は一国一城令の後は登米要害と称し、幕末まで登米伊達氏の居城であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺池城」の詳細全文を読む
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