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寺西是成[てらにし これなり] 寺西 是成(てらにし これなり、生没年不詳)は、安土桃山時代の大名。寺西正勝の長男。別名、清行、忠澄とも。 豊臣秀吉に仕え伊勢国内(越前国とも)で1万石を領した。慶長2年(1597年)には豊臣姓を許される。慶長5年(1600年)に父の遺領のうち700石を加増される。 同年に起った関ヶ原の戦いでは西軍に属し、北国口の防備にあたる。東軍の前田利長に備える為に軍勢500で、友軍丹羽長重の守る加賀国小松城に入る。西軍の敗戦を知り逃亡、また大津城の戦いに従軍したあと逃亡したともいわれている。逃亡ののち、剃髪して吸庵と号した。のちに丹羽長重に仕え、子孫は二本松藩の中級藩士として存続した。 兄に寺西新五郎(摂津国内5400石)がいる。関ヶ原の戦いでは行動を共にしたと思われる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺西是成」の詳細全文を読む
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