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対馬国(つしまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。 == 概要 == 対馬国の初見は、『三国志』魏志倭人伝の對馬國(対馬国)である(三国志のテキストの間でも版によって表記が異なり、現存する最古の版である紹煕〈しょうき〉本では對海國、よりポピュラーな版である紹興〈しょうこう〉本では對馬國となっている)。倭人伝の「今、使訳を通ずるところ三十国」のうちの一国。日本では津島とも書かれたが、7世紀に律令制の地域区分として対馬国が設けられると、「対馬」の表記に定まった。 『古事記』の建国神話には、最初に生まれた島々(「大八洲」)の1つとして「津島」と記されている。『日本書紀』の国産み神話のなかには「対馬洲」「対馬島」の表記で登場する。古くからユーラシア大陸との交流があり、歴史的には朝鮮半島と倭国・倭人・ヤマトをむすぶ交通の要衝であった。 対馬国は律令制下で対馬島とも呼ばれ、その国司は島司とも呼ばれた。701年(大宝元年)の大宝律令では「対馬島」と改称され、のちに再び「対馬国」に復している。 国内には上県郡、下県郡の2郡が置かれた。上県(かみあがた)郡は伊奈(いな)、久須(くす)、向日(むかい)、三根(みね)、佐護(さご)の5郷、下県(しもあがた)郡は豆酘(つつ)、鶏知(けち)、賀志(かし)、与良(よら)、玉調(たまつき)の5郷から成った。大化以前は上県、下県の両国造の領域であった。 『延喜式』によれば、大宰府からの海路行程は4日、正税3,920束、庸と中男作物は免除され、特産品としては銀を納めることとなっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「対馬国」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tsushima Province 」があります。 スポンサード リンク
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