翻訳と辞書
Words near each other
・ 対馬の日
・ 対馬オメガ局
・ 対馬フォーラム
・ 対馬フォーラム (曖昧さ回避)
・ 対馬フォーラム実行委員会
・ 対馬丸
・ 対馬丸 (連絡船・2代)
・ 対馬丸 (連絡船・初代)
・ 対馬丸 さようなら沖縄
・ 対馬丸記念館
対馬事件
・ 対馬交通
・ 対馬京子
・ 対馬仏像盗難事件
・ 対馬勝年
・ 対馬勝英
・ 対馬北警察署
・ 対馬南警察署
・ 対馬嘉三郎
・ 対馬国


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

対馬事件 : ウィキペディア日本語版
ロシア軍艦対馬占領事件[ろしあぐんかんつしませんりょうじけん]

ロシア軍艦対馬占領事件(ロシアぐんかんつしませんりょうじけん)は、幕末ロシア帝国軍艦対馬芋崎を占拠し、兵舎・工場・練兵場などを建設して半年余にわたって滞留した事件。ポサドニック号事件とも呼ばれる。
==経過==

=== ロシア軍艦の進出 ===
文久元年2月3日1861年3月14日)、ロシア帝国海軍中尉ビリリョフは軍艦ポサドニック号で対馬に来航し、尾崎浦に投錨し測量、その後浅茅湾内に進航した。
ロシア艦隊の太平洋司令官であったリハチョーフ大佐は、不凍港を確保するため対馬海峡に根拠地を築くことを提案したが、日本との関係が悪化することを懸念したロシア政府はリハチョーフの提案を拒絶。しかし、海事省大臣であった大公コンスタンチン・ニコラエヴィチが、対馬への艦隊派遣を許可させたため、リハチョーフ司令官の命令によりポサドニック号が派遣されたのであった。
ポサドニック号が尾崎浦に投錨すると、藩主宗義和は重臣を急派し、非開港場投錨の非を責め、速やかに退帆するよう抗議した。しかしビリリョフ艦長は船が難破して航行に耐えられないので、修理のために来航した旨を回答し、さらに修理工場の設営資材や食料・遊女を要求した。
3月4日には芋崎に無断で上陸して兵舎の建設などを始めた。その後、船体修理を名目に工場・練兵場などを建設する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロシア軍艦対馬占領事件」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.