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対馬洋弥吉 : ウィキペディア日本語版
對馬洋弥吉[つしまなだ やきち]

對馬洋 弥吉(つしまなだ やきち、本名:川上 弥吉(かわかみ やきち)、1887年8月19日 - 1933年2月16日)は、長崎県下県郡久和村(のち厳原町、現対馬市)出身の元大相撲力士出羽海部屋(当時は出羽ノ海部屋)所属。大正時代に活躍し、最高位は東大関。現役時代の体格は190cm、105kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げ小手投げ
== 来歴 ==
対馬の生まれで幼少時より背が高く、「半鐘泥棒」と言われてはからかわれていた。成人して地元の重砲隊に入隊したが体の大きさを見込んだ師団長が力士になることを勧め、除隊させてくれた。師団長の紹介状を手に角聖・常陸山を訪ね入門した。常陸山からは「タイシュウ(対州)」の愛称で呼ばれていた。
脚気に罹ったため初土俵は2年遅れて1910年1月場所だった。十両昇進は初土俵からわずか3年後の1913年5月場所、ここまでわずか5敗しかしなかった。翌1914年1月場所には早くも入幕を果たしたものの1勝6敗3預と散々で、すぐ十両に陥落したが1915年1月にすぐ幕内に返り咲いた。その後は好成績を重ね、横綱の小手投げで肩を脱臼するもすぐに盛り返し、1919年5月場所に大関に昇進した。
体は細いが当時では群を抜く長身で腕力も強く、腰も粘り強かった。四つに組めば長い腕が生き、相手は「に吸い付かれたようだ」と攻めあぐねた。ごぼう抜きに相手を吊ったり投げも強く、太刀山ですら懼れたほどである。しかし立合いが拙く、動きの速い力士を苦手とした。
しかし大関に昇進したものの稽古中に再び脱臼すると吊り、投げの威力が落ち、わずか2場所で関脇に陥落してしまった。その後はあっという間に番付が降下し、西前頭14枚目まで下がった1922年5月場所で2場所連続して全休、そのまま引退した。
引退後は年寄とならず郷里に帰り、村長を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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