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対馬琴のイチョウ : ウィキペディア日本語版
対馬琴のイチョウ[つしまきんのいちょう]
対馬琴のイチョウ(つしまきんのイチョウ)は、長崎県対馬市上対馬町琴(きん)地区に生育するイチョウ巨木である〔『新日本名木100選』、194-195頁。〕〔渡辺、282-283頁。〕〔琴のイチョウ 日本の巨樹・巨木 高橋弘ウェブサイト、2013年3月24日閲覧。〕。単に「琴のイチョウ」(きんのイチョウ)または「琴の大イチョウ」(きんのおおイチョウ)とも呼ばれる〔〔。推定の樹齢は1500年といわれ、「大陸から日本に伝わった初のイチョウ」などの伝承がある〔〔〔。1961年(昭和36年)には、長崎県の天然記念物に指定されている〔牧野、88-89頁。〕〔長崎県の文化財 対馬琴のイチョウ 長崎県ウェブサイト、2013年3月24日閲覧。〕。
== 由来 ==
琴は、対馬北部の東海岸に位置する集落である〔〔対馬の文化/県指定文化財/天然記念物 対馬ポータルサイト(対馬新聞社)、2013年3月24日閲覧。〕。古くから朝鮮半島との交流があり、大陸文化の入り口となっていた場所で、1471年(文明3年)に朝鮮で著された『海東諸国記』という書物に「四十余戸」と記載されている〔。
対馬琴のイチョウは、曹洞宗に属する長松寺という寺の前に生育している〔〔長崎県のお寺一覧 2013年3月24日閲覧。〕〔琴の大銀杏 長崎観光ポータルサイトながさき旅ネット(長崎県観光連盟 長崎県企画振興部文化観光物産局観光振興課)、2013年3月24日閲覧。〕
。この木は雄株で推定の樹齢は1500年といい、そのため「日本最古のイチョウ」、「大陸から日本に伝わった初のイチョウ」との伝承がある〔〔〔。古くから対馬全島に存在を知られていて、「琴のイチョウは対馬の親木、胴のまわりが三十と五」〔35尋は、約64.00800メートル。〕と対馬各地の地搗き唄で歌われていた〔〔〔。
35尋という数値は過大であるが、よく目立つ木であり、1809年(文化6年)に書かれた『対馬記事』には「沖より見れば茂りて山のごとし」と記述されていた〔〔
上対馬町 琴の大銀杏 上対馬の観光名所、2013年3月24日閲覧。〕。かつてのこの木は、幹周り12.5メートル、樹高は40メートルを測っていた〔〔。カメラマンで巨木に関する著書のある高橋弘が2004年に測定したところ、樹高は23メートル、幹回りは13.3メートルの数値となっていた〔。
1798年(寛政10年)には落雷に遭い、幹が裂けて焼け焦げ、中に空洞ができた〔〔〔〔。この空洞には、近年まで稲荷の祠が祀られていた〔〔。明治時代初期には、近くの民家の火災で延焼する難に遭った〔。その後蘇生して樹高は40メートルにまで成長したが、1950年(昭和25年)9月の台風29号(キジア台風)によって主幹が折れた〔。度重なる災害にもかかわらず樹勢は盛んで、とりわけ健全な東側の幹からは「乳根」を垂らしているほどである〔〔〔。地元の人々もこの木を大切にしていて、かつて琴小学校と琴中学校(ともに1993年閉校)は、「イチョウ」を校章にしていた〔。
対馬琴のイチョウは、1961年(昭和36年)11月24日に長崎県の天然記念物に指定された〔〔〔記念物 対馬市オフィシャルホームページ、2013年3月24日閲覧。〕。1990年(平成2年)に開催された「国際花と緑の博覧会」に合わせて企画された「新日本名木100選」では、長崎県から「奈良尾のアコウ」(長崎県南松浦郡新上五島町、国の天然記念物)とともに選定されている〔〔『新日本名木100選』、192-195頁。〕〔『新日本名木100選』、9頁。〕〔新日本名木100選 巨樹と花のページ、寺西化学工業株式会社ウェブサイト、2013年2月15日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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