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小原 弘稔(おはら ひろとし、本名・弘亘(ひろのぶ)、1934年 - 1994年3月7日)は、劇作家、演出家である。元宝塚歌劇団理事。 宝塚歌劇団の演出家として活躍し、主にレビューやショーの作・演出を手がけた。 ==略歴== *1956年、宝塚歌劇団に入団 *1960年、ミュージカル『新・竹取物語』で大劇場公演としての演出家デビューを果たす。 *1974年、グランド・レビュー『イマージュ』から、演出家名を小原弘亘から小原弘稔に変更。 *1984年、『ザ・レビューⅡ -TAKARAZUKA FOREVER-』の主題歌は、宝塚歌劇団を代表する楽曲の一つとなり、イベント等で歌い継がれるようになる。 *1987年、『ME AND MY GIRL』初演の脚色・演出を手掛ける。異例の1年間ロングラン公演となる。また、新人公演で当時研究科1年(入団1年目)の天海祐希を主演のビルに抜擢した。 *1988年、バウホール公演『リラの壁の囚人たち』の脚本・演出を手掛ける。この作品は、1988年の『ツーロンの薔薇』、1991年の『グランサッソの百合』と合わせ、後に「第二次世界大戦レジスタンスシリーズ3部作」と呼ばれている。 *同年、ニューヨーク・ラジオシティ・ミュージックホールでの海外公演『タカラヅカ・フォーエバー!』の作・演出を担当する。 *1990年、星組大劇場公演『メイフラワー』(芝居)と『宝塚レビュー 90』(ショー)の作・演出を一人で手掛ける。通常、芝居とショーで2部仕立ての構成の場合は、芝居とショーはそれぞれ別の演出家が担当することが通例で、一人で両方を担当するのは極めて稀なケースであった(当初芝居は別の演出家が担当予定が急な退団のため)。 *1993年、新・宝塚大劇場公演こけら落とし公演のショー『PARFUM DE PARIS』の作・演出を手掛ける。 *1994年、自身が手掛けた『コート・ダジュール』が東京宝塚劇場で上演中に、肺がんのため死去。享年60。天海トップ時代のショーを80周年に担当予定であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小原弘稔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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