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小坂佳隆 : ウィキペディア日本語版
小坂佳隆[こさか よしたか]

小坂 佳隆(こさか よしたか、1935年10月12日 - 1987年3月1日)は、神奈川県出身のプロ野球選手二塁手)。愛称は「ピョンちゃん」〔カープ50年 夢を追って、中国新聞社、1999年11月、P68〕。
== 来歴・人物 ==
法政二高では2年生の時、二塁手として1952年夏の甲子園に出場。1回戦で新宮に敗退〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。1年上のチームメートに斎田忠利中堅手大映)、同期に中村忠雄一塁手広島)がいた。卒業後は斎田と同じく法政大学に進学〔。東京六大学リーグでは優勝に届かなかったが、1年生の秋から強肩俊足の二塁手として活躍し、当時の東京六大学野球で戦後最高の二塁手と呼ばれるほどのスター選手だった〔。リーグ通算98試合出場、344打数74安打、打率.215、0本塁打、24打点。ベストナイン1回。
1958年にこの当時まだ田舎球団であった広島カープが、広島初のスター選手として獲得した〔。引退した金山次郎の後継として、1年目からレギュラー二塁手として活躍、規定打席(20位、打率.235)にも達する。天才的とも言われた守備で1962年ベストナインを獲得〔。その後の活躍も期待されていたが肉体的な衰えが激しくなり、試合の出番が少なくなっていった〔。1965年にわずか30歳で8年の現役生活に別れを告げた〔。その後監督候補の呼び声もあったが、少しも未練を見せずに球界を去った〔。その後、地元の横浜市ウナギ屋を営んでいたが、1987年3月1日脳出血で死去〔。享年51。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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