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小墾田皇女(おはりだのひめみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。敏達天皇の皇女で、母は推古天皇。名は小治田王(おはりだのおおきみ)〔『古事記』による。〕と表記される。 同母の兄弟姉妹に菟道貝蛸皇女(聖徳太子妃)・竹田皇子・鸕鶿守皇女・尾張皇子(聖徳太子の妃橘大郎女の父)・田眼皇女(舒明天皇妃)・桜井弓張皇女(押坂彦人大兄皇子及び来目皇子の妃か)らがいる。 『日本書紀』によれば、異母兄の押坂彦人大兄皇子の妃となり、子女は不詳とされている。『古事記』には押坂彦人大兄皇子と小墾田皇女の婚姻に関する記述はない〔一方『古事記』には押坂彦人大兄皇子には同母妹の桜井弓張皇女が嫁いだとある。〕。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小墾田皇女」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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