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小室 哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 - )は、日本のミュージシャンで、音楽プロデューサー。東京都府中市出身。元尚美学園大学芸術情報学部教授。妻はglobeのボーカルのkco。愛称は「てっちゃん」「先生」「TK」など。身長167cm、体重57kg。 == 略歴 == === 学生時代 === 3歳から東京芸術大学教授の下でヴァイオリンのレッスンを始めて、音感のベースを学ぶ。小学生の頃から既にクラシックのインストゥルメンタルの楽曲を作っていた〔オリコン・エンタテインメント刊『オリコン・ウィークリー』1987年4月27日号より。〕。小学5年生、母がエレクトーンを購入。これが鍵盤楽器との出会いとなる。母より先にコードを覚え、エレクトーンの先生を驚かせた。同じ頃、母方の親戚の叔父からギターコードを習い、マスターするのが速くて叔父を驚かせた〔Bio File Introより。 〕。 音楽の時間に50分で16小節を譜面に書く作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」「だけど自信にはなりました」と語っている〔シンコーミュージック・エンタテイメント刊 『Vis Age TETSUYA KOMURO PERSONAL VISUAL BOOK』より。〕〔朝日新聞出版刊 『AERA』 1998年12月14日号より。〕〔メディアファクトリー刊 『まっすぐ進む夢へのヒント54』 木根尚登著より。〕。日本万国博覧会でシンセサイザー・マニピュレーター・マルチモニター・12チャンネルステレオを背景に演奏する冨田勲を間近で見て、「もしモーツァルトの時代と同じ楽器しかなかったら僕はこの世界で勝負しなかった」と後述する程の衝撃を覚える〔講談社刊『小室哲哉 深層の美意識』文庫版 神山典士著より。〕〔飛鳥新社刊 『プロデューサーは次を作る』:中谷彰宏・小室哲哉著より。〕。 家にあったギター・ヴァイオリン・エレクトーンを家族に無断で売り、当時16万円以上したというシンセサイザー「ローランドSH1000」を購入した。渡辺美里の「きみに会えて」「BELIEVE」「嵐ヶ丘」「I wish」・TM NETWORKの「Here, There & Everywhere (冬の神話)」等後に提供する楽曲の雛型約20曲をその頃に作曲したという〔リットーミュージック刊 『キーボード・マガジン』 2010年SUMMER号より。〕〔。 早稲田実業学校高等部商業科に入学。小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという〔。この頃からELP・ピンク・フロイド・レッド・ツェッペリン・キング・クリムゾン・T.Rex・ユーライア・ヒープ・コモドアーズ・Kool & the Gang・Earth, Wind & Fire・ドナ・サマー等の洋楽をプログレッシブ・ロック・ファンクを中心に漁るように聞いた〔Bio File 1970より。 〕〔ソニー・マガジンズ刊『GB』1986年12月号より。〕。 早稲田大学社会科学部に進学し5年ほど在籍、在学中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する(哀婉・あのねのね、白竜、原田真二等のバックバンド(キーボードを担当)、SPEEDWAYへの参加等)。その後、音楽活動に没頭し、授業料を楽器代に使い廻していた為に単位が取れず除籍となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小室哲哉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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