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小室孝太郎[こむろ こうたろう]
小室 孝太郎(こむろ こうたろう、1943年10月 - )は、日本の漫画家。本名: 小室 保孝(こむろ やすたか)。宮城県出身。代表作は「ワースト」。SF漫画の草分けとして、またジャンプ専属契約システムの犠牲者として知られている。 ==略歴== 手塚治虫の門弟として修業、1968年に独立。翌年、週刊少年ジャンプにて「トワイライトゾーン」でデビュー。1970年ジャンプ11号から翌年34号まで「ワースト」を連載。テーマの斬新さと手塚直流の独特なキャラクターが好事家の間では今でも評価されている。その後は、1971年45号から1972年7号まで「闇の戦士」を、同年18号から1972年38号まで「ミステリオス」を連載する。 1973年、ジャンプ8号より「アウターレック」の連載を開始するものの、27号で終了。後に「つっぱりアナーキー王」(洋泉社、1997年)では、「アンケート結果は常に上位にあったものの、アンケート結果が不安定だったもう1つのSF漫画「マジンガーZ」がアニメ化が決まったことで、『SF漫画は2つもいらない』という編集部の判断があった」(註・「マジンガーZ」は元々フジテレビと東映のオリジナル企画。少年ジャンプで72年9月12日発売の42号から連載が開始され、「アウターレック」の連載がスタートする以前の72年12月3日にTVアニメの放映開始。しかも「アウターレック」の終了から2か月後の73年35号で打ち切り同然の最終回を迎えているため、小室の証言と大きく状況が異なる)、そして「事実上の打ち切り予定だった『侍ジャイアンツ』が原作者の梶原一騎の力でアニメ化にしたためにメジャー化となり、その代わりに打ち切られた」と二つの理由を語っている。この対応に編集と激しく争ったため、小室は他誌での連載を試みたが、知らない間に交わされた専属契約制度のせいで、しばらくの間殆ど作家として活動できない状況に陥った。こうした経緯により、小室はジャンプ専属契約制度の犠牲者とされている。 1978年、「命〈MIKOTO〉」でジャンプ復帰し、僅か11週で打ち切りとなったものの、単行本出版後には大きな反響を呼んだ(「つっぱりアナーキー王」33P)。その後、小室は歴史漫画や宗教漫画などに活動の場を移した。一方で、上述の「つっぱりアナーキー王」において、SF作品に対する未練も述べている。2010年7月19日、自身の作品の韓国語版が出版された事を記念し、ソウル市内で開かれた式典に出席した(人間自然科学研究所 研究所の歴史 )。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小室孝太郎」の詳細全文を読む
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