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小宮賢一 : ウィキペディア日本語版
小宮賢一[こみや けんいち]
小宮 賢一(こみや けんいち、1911年 - 1990年6月3日〔『朝日新聞』(東京本社発行)1990年6月4日朝刊、1頁。〕)は、日本の建築系内務官僚都市計画家。建築行政家。
現在運用されている建築基準法都市計画法制定に尽力。建築の審査・行政指導方面で活躍した人物。
一方で、戦前期東武鉄道に造成開発された分譲住宅地常盤台 (板橋区)原案の設計者としても知られる。
== 略歴 ==
1934年昭和9年)東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、内務省本省大臣官房都市計画課に入省配属。市街地建築物法の運用、防火防空都市計画を担当した。
1937年(昭和12年)には、砧台付近を想定して戦前開催が中止となった当時の東京オリンピック選手村試案を制作し『建築と社会』11月号にて発表している。試案では、現バス通路と東横電鉄の新線を想定して両者が交差する所に新駅を配し、そこから南の中央公園に向かって幅員が二十五メートルある並木道を通しており、並本道と交わる道路が逆S字状に選手村を縦断させて、それに直交する袋小路に往戸を線状に配している。他方、地形を尊重した曲線道と緑地を計画、多摩川の河岸段丘に当たる敷地の東四辺に緑地が配されていた。
戦後は建築関連の法案の草案、建築基準法起草を担当。1947年(昭和22年)の日本計画士会結成にも参画。
1952年(昭和27年)から建設省住宅局建築指導課長、1957年(昭和32年)から神奈川県建築部長などを歴任後に大同工業大学(現・大同大学工学部教授。1969年から1972年度まで、日本都市計画学会副会長をつとめる。死去の直前までは全国建築審査会協議会の会長など数々の要職を務めていた。
小宮は「昭和22年に戦災復興院建築局で作られた建築法草案は、3年後の建築基準法の立案に非常に役に立ったし、またその後の建築立法にもかなりの影響を与えている」とのべている。
現在、日本建築センターに、生前氏が所蔵していた資料を収めた小宮賢一文庫が創設され、資料は整理されて公開されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小宮賢一」の詳細全文を読む



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