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小屋平ダム : ウィキペディア日本語版
小屋平ダム[こやだいらだむ]

小屋平ダム(こやだいらダム)は、富山県黒部市一級河川黒部川水系黒部川に建設されたダム。高さ54.5メートルの重力式コンクリートダムで、関西電力発電用ダムである。同社の水力発電所・黒部川第二発電所に送し、最大7万2,000キロワットの電力を発生する。
== 歴史 ==
1919年大正8年)、黒部川の豊富な水資源を活用した水力発電により、アルミニウムを生産するとして東洋アルミナムが設立された。同社は1920年大正9年)に黒部川の水利権を獲得し、1921年大正10年)に子会社・黒部鉄道を設立。開発の足がかりとして国鉄北陸本線・三日市駅(現・あいの風とやま鉄道黒部駅)から黒部川に沿って鉄道路線を敷設していき、1922年大正11年)には下立駅まで伸ばされた。同年、東洋アルミナムは五大電力の一角・日本電力の傘下に収められ、それ以降黒部川の開発は日本電力の主体のもと行われていく。その第一弾として柳河原発電所の建設工事が1924年大正13年)に着手され、1927年昭和2年)に完成。これと並行して下立駅から桃原駅(のちの宇奈月駅、現:宇奈月温泉駅)およびそれ以南の工事専用鉄道路線(現:黒部峡谷鉄道本線)が敷設された。なお、東洋アルミナムは1928年昭和3年)、日本電力に合併している。
日本電力は柳河原発電所完成後、開発の手を上流へと伸ばし、黒部川第二発電所の建設を目指して1929年昭和4年)に鉄道路線を小屋平駅まで延伸した〔「猫又小屋平間5.82キロメーターは昭和4年末完成」(「黒部川第二発電所建設工事」より新字体に修正した上で引用)という。〕。しかし、当時は不況下にあって、同年11月には工事の一時中断を余儀なくされてしまう。ところが、1932年昭和7年)になると一転して景気が回復し、電力が不足する傾向となったことから、1933年昭和8年)6月に工事が再開された。工事を請け負ったのは大林組(ダム・取水口沈砂池を担当)、間組導水路トンネル上流側を担当)、鉄道工業(導水路トンネル下流側を担当)、大倉土木(現:大成建設水槽発電所を担当)の4社である〔「黒部川第二発電所建設工事」より。〕。すでに鉄道路線が小屋平駅まで至っていたこともあって工事は順調に進み、1936年昭和11年)に完成。黒部川第二発電所は同年10月30日から運転を開始し、1937年昭和12年)6月からフル稼働に入った。日本電力は建設工事と並行して営業活動にも力を入れており、富山平野にいくつもの大工場を誘致し、電力の需要確保に努めた。
日本電力はその後も開発の手を上流へと伸ばし、1940年昭和15年)、小説高熱隧道』でその難工事ぶりが伝えられている黒部川第三発電所および仙人谷ダムを完成させる。その間、日本政府電気事業国家管理下を目指して日本発送電1939年昭和14年)に設立し、日本電力は同社への電力設備の出資によって電力会社としての歴史に幕を下ろした。戦後になって日本発送電は分割民営化され、日本電力が手がけた黒部川の発電所群は関西電力が継承した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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