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小山 明子 (こやま あきこ、1935年(昭和10年)1月27日 - ) は、日本の女優。千葉県生まれで神奈川県横浜市鶴見区育ち。本名は大島 明子 (おおしま あきこ)。旧姓・臼井。夫は映画監督の大島渚。叔父は社会運動史研究者の小山弘健。 == 来歴 == 神奈川県立鶴見高等学校卒業後、ファッションショーに出演し『家庭よみうり』のカバーガールになったのがきっかけで、スカウトされて松竹入り。1955年(昭和30年)に松竹映画『ママ横をむいてて』でデビュー。当時、松竹の助監督だった大島渚と仕事を通じて知り合い1960年(昭和35年)に結婚した。翌年、松竹を退社。 花登筺のテレビドラマ『道頓堀』(1968年)では、往年の浪速情緒あふれる大阪の女性を演じ、1976年(昭和51年)放送のテレビドラマ『あかんたれ』でも、明治大正期に格式の厳しかった大阪船場の成田屋のご寮はん(お久)を演じた。1978年(昭和53年)には『続あかんたれ』が製作され、前作同様にご寮はん役を演じた。 1996年(平成8年)に夫の大島渚が脳出血で倒れてからは、長時間拘束される女優業から距離を置いて夫の介護に専念するようになる。介護疲れと大島プロダクションの職員からの介護に関係した暴言(フジテレビ「カスペ!・芸能界の告白3」で本人告白)を原因とするうつ病を発病するが克服した。 2001年(平成13年)に個人事務所である小山明子事務所を設立し、介護をテーマにした講演会の講師やコメンテーター、執筆を中心に活動している。特に著作では、『パパはマイナス50点』で、2008年(平成20年)、第25回日本文芸大賞エッセイ賞を受賞し、2010年(平成22年)には『小山明子のしあわせ日和』を出版している。 2013年(平成25年)1月15日、夫の大島渚が肺炎により80歳で死去。奇しくも小山の18年ぶりの舞台出演となった「女のほむら」初日の前日であったため、最期を看取ることが叶った。舞台への出演は大島も知っており、応援していたという。 17年間という長年に渡った介護の末であった。小山は大島の亡くなった翌日も、気丈に舞台の主役を務めた。舞台終わりのインタビューでは、時折涙で声を詰まらせながらも亡き夫に対して「ご苦労さまでした。もう何も悔いはありません」と応えている。葬儀では喪主を務め、数多くの参列者へ感謝の言葉を述べていた。 2013年2月23日公開の映画「インターミッション」(樋口尚文監督)で四半世紀ぶりに映画出演を果たしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小山明子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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