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小山田健一 : ウィキペディア日本語版
小山田健一[おやまだ けんいち]

小山田 健一(おやまだ けんいち、1950年9月13日 - 2001年3月20日〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、135ページ〕)は、山形県山形市〔出身のプロ野球選手捕手)。
プロ野球選手の小山田貴雄は実子。
== 来歴・人物 ==
日大山形高時代は、四番打者として1968年夏の甲子園に出場〔。試合は惜しくも初戦の対岩国商戦で0-1で敗れてしまったが、強打が注目され東映フライヤーズドラフト6位で指名を受け入団〔。
プロ入り後種茂雅之がいる東映では一軍に定着しきれず、1976年ヤクルトスワローズに移籍するが、ここでも大矢明彦という不動の正捕手がいたために一軍に昇格できず、1978年に引退〔。翌1979年からブルペン捕手に転向し、長く裏方としてチームを支えた〔。その後胃癌が発覚し、2000年からブルペン捕手を休職して闘病生活に入ったが、2001年に亡くなった〔。
2001年にヤクルトが日本シリーズで優勝した際に、池山隆寛が小山田の遺影を持ってセレモニーに臨んだことで知られる。池山は後に著書『池山隆寛のブンブンブン! 夢、ありがとう プロ野球栄光と挫折の19年』でも小山田について「お世話になった人」として触れている。
2007年のドラフトで、息子の小山田貴雄が育成選手としてヤクルトに指名を受け、父と同じチームでプレーすることになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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