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小山田 宗徳(おやまだ むねのり、1927年12月14日 - 1986年5月13日)は、福島県石川郡石川町出身の男性俳優、声優。東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)卒業。 == 略歴 == 俳優座養成所に三期生として入所。同期には穂積隆信、渡辺美佐子らがいた。その後、1960年には小沢昭一らと共に「劇団俳優小劇場」〔 1954年に、俳優座養成所二期生・三期生の卒業生が「劇団新人会」を結成し、1960年に小沢昭一らによって「俳優小劇場」に分裂する。その後再建するも渡辺美佐子は退団し、劇団新人会は解散。1970年に長山藍子、山本學、前田昌明らが”第二次「劇団新人会」”を結成し、1994年に「劇団朋友」に改称する。〕を旗揚げる。 1962年に主演した『地方記者』『続 地方記者』(日本テレビ)では主題歌の歌唱も担当し、東芝音楽工業よりレコードを発売している。 多数のテレビドラマ出演だけでなくラジオドラマやナレーション、吹き替えなどの声の出演も多くウォルト・ディズニーやヘンリー・フォンダなどの俳優の日本語版吹替を担当。中でもヘンリー・フォンダは吹き替えでの持ち役となったが、後年は吹き替えの仕事から遠ざかっていった。 1976年にテレビ放送された映画『エスピオナージ』でフォンダを担当したのが最後の吹き替えとなった。また、『スパイ大作戦』オープニングでの「…頭脳と体力の限りを尽くしこれを遂行する」という名ナレーションも人気となった。 宝塚歌劇団OGの日夏悠理と結婚し、一男一女をもうける。 1986年病気のため死去。。当時、日本テレビでレギュラー出演していた『大都会 PARTII』が再放送されており、最終出演であった31話の最後に追悼のテロップが流れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小山田宗徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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